地産地消をテーマにあらゆる可能性を求めて活動する元気な「NPO法人もったねえよいちはら」です。
同姓が多い集落内では、今も屋号で呼び合うところが少なくありません。屋号の由来は様々ですが、西広堰農村公園のある西広新田地区には川にまつわる屋号が多くあります。小湊鉄道が開通する大正12年まで、水運が盛んだった養老川には材木を組んだ筏や薪炭を積んだ船が往来していました。田んぼの時期、灌漑用に数十メートルの川幅いっぱい堰き止めました。角材と板だけで堰止める伝統工法『西広板羽目堰』は、日本に現存する唯一の農業板羽目堰として知られています。当時の西広堰周辺は、荷物の積み降ろしをする人たちや堰が開放されるまで船上に足止めされた人々で大いに賑わったといいます。
川口屋は水運が盛んな頃船主や船頭が休憩場所として一杯やった有名なお茶屋でした。材木屋は文字通り、養老川を流してきた材木の製材を生業にしていました。川の淵に近い家は染物屋を営む紺屋(こうや)。今も残る材木屋の半纏は、紺屋で染めたものです。行き交う人が目印にしたほど大きな桜があった店、花川屋。今も桜は毎年花を咲かせます。他にも、河岸、船越、船頭など、屋号から地域の歴史や文化を学ぶことができます。
堰を開放する9月1日は漁を楽しむ人たちで大いににぎわったといいます。昭和54年、コンクリートの電動式西広堰が完成して板羽目堰は姿を消しました。川は人々にとって交通の場であり、生活の場であり、遊び場でした。川は人々の暮らしの中にありました。
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